大江健三郎さん亡くなる

大町観光道路から 4月10日撮影

坂本龍一さんが亡くなる少し前、大江健三郎さんも亡くなりました

大江健三郎は、今ではほとんど読まれていないようですが、私の年代の学生はみんな・・・少なくとも私は学生時代、初期の大江の作品は全部読みました

大江健三郎さんは、東大在学中芥川賞を受賞し、新しい文学の旗手として華々しいデビューをしました

その後も、次々に発表した作品で、ほとんど最年少であらゆる文学賞を受賞してきました

そして、川端康成に続いて、日本文学史上で2人目のノーベル文学賞も受賞しました

その後は、60年安保の最中、訪中使節団の一員として中国各地を訪れて熱烈歓迎を受け、圧倒的な中国支持者になりました

その結果、日米安保条約に反対し、脱原発を訴えるなど、共産主義勢力に加わって反日的な活動を行ってきました

日本における天皇制にも批判的で、天皇陛下から授与される “文化勲章” は拒否し辞退しました

日本の頽廃は、本質的に米軍の日本駐留に起因しているとしながら、GHQにより制定された日本国憲法を守ろうとしていました

憲法9条を守ることを目的として、全国各地で講演活動を行い、脱原発についてもその運動の呼びかけ人になっていました・・・前のブログで書いた、坂本龍一さんもその一人でした

中国国内では、中国に対して最も友好的だった日本人作家が逝ってしまった・・・と報道されました

中国共産党は、大江健三郎とその作品は、日本の良識や侵略戦争に対する反省を反映し、客観的な歴史を守り、日本社会の良識だったとされ、さらに中国との民間友好や文化交流に貢献したとしてその功績をたたえました

反原発、脱原発については、日本の原発増設・再稼働する行為は、絶対許せない・・・といいながら、中国の核実験・核武装に対しては絶賛していました

ウイグルでの核実験成功の “きのこ雲” を見て “中国人の喜びの表情は、客観的に言っていかにも美しく感動的であった・・・” と中国の核実験成功を大喜びしていました

どうしてそこまで、中国に傾倒していくことになったのでしょうか・・・

大町山岳博物館から 4月10日撮影

60年安保と中国訪問で、政治的感性が形成されたのね

安保闘争のさなか、訪中団は毛沢東・周恩来とまで会見したらしいね・・・

安保反対など、中国の日米離反の策略に乗せられたのね・・・

南京大虐殺の捏造にも一役買ってたわね・・・

スウェーデン国王から授与されるノーベル賞は受賞し、天皇陛下から授与される、日本の文化勲章は拒否したのね

中国の核実験成功には大喜びし、フランスの核実験のときには、もうフランスのワインは飲まない・・・とまで宣言したよね

今では脱原発で日本の経済が衰退し、原子力技術も失いつつあるのね

中国では原発を建設し続け、技術力を伸ばしているのにね

その意識は終生変わらなかったようだけど、今の中国をどう見てたんだろうね・・・

大町観光道路から 4月10日撮影

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