私が “イラン” を旅したのは1975年でした・・・パーレビ国王による王国の時代で、西洋化が進みアメリカとも良好な関係でした
しかしその後、1979年にイスラム教が弾圧されたことなどが原因で “イスラム革命” が起き、ホメイニ師によるイスラム原理主義国家になりました
そして、前政権の後ろ盾になっていたアメリカと敵対するようになり、またイスラム教の聖地でもあるエルサレムを奪ったイスラエルとも敵対し、各地にあるイスラム武装組織を支援して、公然とイスラエルを攻撃していました
イスラエルは、イランが核を持てば国家存亡の危機だとして先制攻撃に踏み切り、アメリカのイランの核施設空爆後、現在は停戦状態にあるようですが、この先予断を許しません
私が訪れた1975年ころは、最も平和だった時代かもしれません・・・トルコのイスタンブールから鉄道で入りました
世界で最も長い鉄道は “シベリア鉄道” で、ウラジオストクからモスクワまで、9日間ほどかかることはよく知られています
むかし、お金がなく時間のたっぷりある若者がヨーロッパに行くには、この鉄道を利用していました
私はイスタンブールからイランのテヘランまで一気に鉄道で行ったのですが、なんと4泊5日かかりました・・・3泊して到着の予定だったのですが、15時間遅れでした・・・時間だけはたっぷりあった若者には何の問題もありませんが・・・
テヘランの印象は、とにかくだだっ広い印象で、歩いて1時間ほどかけてバッグパッカーで有名な “アミール・カビール” ホテルに入りました
食事は、横に広いデパートみたいなバザール内で、カバブやなんだかうどんのようなものを食べたり、また米の飯がうまいとも記録に書いてあります
街の中は、とにかく産油国なので、やたら明々とライトやネオンが点いている印象で、カフェーなどが少ないためか、何だか落ち着きがなく、車はみんな信号無視しているとも書いてあります・・・もちろんすべて50年前の印象です
そしてテヘランからは、鉄道もあったのですが、バスでシーア派の大本山 “メシェッド” に入りました・・・砂漠回りではなく、カスピ海回りのバスだったので時間がかかったと書いてあります
天気はいいのに震えるほど寒かったメシェッドでは “イマ・レザー廟” を回り、アフガニスタンのビザを取って、国境のイスラムカラーに向かいました
超簡単に行程を書くとこんな風になるのですが、もちろんいろんな出来事や思いが書ききれないほどあります・・・適当で行き当たりばったりですが、濃密な経験・・・だったのかな・・・
シベリア鉄道は、五木寛之の “青年は荒野をめざす” ね・・・
若い人たちが、あこがれたのね・・・
4泊5日の鉄道は、イスタンブールのエジプシャンバザールでパンやジャムやオレンジや缶詰など食料を買って乗り込んだようだよ
列車の中で退屈しなかったの・・・
ボーっと車窓を眺めていて、退屈しない性格なのね・・・
トルコの “バン湖” では、列車のままフェリーに乗って4時間ほどかけて対岸へ渡ったりね
いろんな経験があるのね・・・
列車内で、トルコ人の泥棒とつかみ合いになったことがあるんだけど、ナイフを持っていたことが後でわかって危なかったこともあったよ・・・
現在は、旅行どころではないわね・・・
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