前々回、ブログ “ロシア ウクライナ侵攻から一か月経過・・・ゼレンスキー大統領の演説も・・・” でこういうことを書きました・・・
侵略が始まった頃、誰とは言いませんが、ある元政治家、テレビ局コメンテーター、出たがりタレントは、死傷者がこれ以上増えないように、早くロシアに降伏したほうがいい・・・と言っている人達がいました
命を懸けて、国土を守ろうとしている人たちに、自由を守ろうとしている人たちに、やめろ・・・と言っていました
侵略者に対して、命が危ないから戦うな・・・と言っていました
国土を失い、主権を失うということが、どういうことかわかっているのでしょうか・・・
侵略されれば “ウクライナ” は、消滅してしまいます
・・・で、こういうことを思い出しました
中学生の時、歴史で習った “元寇 文永・弘安の役” です
モンゴル帝国は、13世紀 “チンギス・ハーン” のもと、領土拡大を目指し、中国・ミャンマーはもちろん、中東・トルコ、ロシア・ドイツ・ポーランド・ハンガリーを攻め、ウイーンの近くまで、領土に収め、大モンゴル帝国を作りました
その戦い方は、壮絶で、徹底的に残虐・虐殺・強奪の限りを尽くし、残りは奴隷化して、何百ともいわれる民族と文化を、消滅させました
モンゴル軍の残虐さは、世界中で語り継がれています
そして、ついに日本にも侵攻してきました
日本史上の大事件です
この国難時、幕府から “執権” に任命されたのは、16才の “北条時宗” でした
“文永の役” では、900艘の船で、4万人が攻めてきますが、なんとかしのぎます
その後、降伏を促す使節が日本に来ますが、その残虐さを見た “時宗” は、ことごとく処刑し、博多に防塁を築き、防御を固めます
そして、2度目の侵攻 “弘安の役” です
軍船4,400隻に、14万人の兵が押し寄せてきます
しかし、元の戦い方がわかった御家人・鎌倉武士や九州武士は、博多上陸を許さず、逆に島に封じ込めます
そしてそこに “台風” が襲来し、元軍の船は、ほぼ全滅に近かったといわれています
もしこの時、日本が負けていたら、日本が元に支配されていたら、どうなっていたのでしょう・・・
他の国や地域と同じように、徹底的に虐殺され、朝廷も幕府も皆殺しでしょう・・・
“日本” という国は、無くなり、歴史は途絶えています
“神風” といわれる台風の援護もあったのかもしれませんが、現在日本があるのは “北条時宗” のおかげと言ってもいいかもしれません・・・
日本を救った、その救国のヒーロー “北条時宗” は、役を終えたかのように、32才で亡くなります
“文永の役” では、上陸され博多の街は侵略されていたのに、いつの間にか、元軍は、引き上げていったのね
始めは “脅し” だけだったのではないか・・・といわれているよね
台風の時期でもないし・・・
“弘安の役” では、ほんとに “台風” が来たのね・・・
でも、10万人の御家人が、博多に到着寸前だったので、台風が来なくても、撃退したともいわれているよ
もし侵略されていれば “日本” という国の、歴史と民族が終わるところだったのね・・・
中国は、四千年というけれど、もともと多民族国家で、モンゴル族・女真族・満州族など、王朝が替わるたびに、違う民族が支配してるんだからね
中国四千年というのは、インスタントラーメンのCМのキャッチコピーなのよ・・・
ずっと同じ民族が続いている日本はすごいわね
世界中に、例がないのね・・・
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