羽田東京国際空港・・・ “AGS” で働いていました

鷹狩山から北岳

お正月の羽田空港滑走路での、JALのエアバス旅客機と海上保安庁機の衝突事故について書いたとき、羽田空港で働いていたことがあると書きました

それはもう40数年前、成田国際空港がオープンする前の話です

AGS (airport ground service) というJALの系列会社で働いていたことがあります

AGSは、もう名前が変わってしまったようですが、飛行機や空港滑走路内の仕事をしていました

勤務はシフト制で、早番・遅番や夜勤と “アップ” というのがありました

“アップ” というのは、まだ始発のない時間の早出で、アルバイトの私のアパートまでタクシーが迎えに来ました

アルバイト料は、当時の学生の時給の相場は300円程だったのですが、650円と倍以上でした

蒲田からバスで通い、整備工場側から顔写真付きの入館証で出入りしていました

空港内には関係者だけの食堂があって、安くていいものが食べられたので、夜勤の時には早めに行ってそこで食べていました

私が所属したのは “国際搭載1課” というところでした・・・他に国際搭載2課や国内搭載があり、機内清掃などもありました

国際搭載1課というのは、7,8人のチームが10チーム程あり、例えば “JALの002便” を担当したチームは、その到着に合わせて、TT (トーイング・トラクター) という乗り物で滑降路に駆け付け待機し、飛行機が着陸すると、腹の部分の貨物室から客の荷物を出してTT車に積み込み、空港内で待っている客のところに運ぶという仕事でした・・・もちろん、その逆の出発便の荷物の積み込みもありました

いろんな飛行機があり、当時主力のボーイング747などは、荷物が小さなコンテナに入っているので、荷物を出すことなくそのままコンテナを飛行機からTT車に乗せ換えて、何台も数珠つなぎにつないで、空港内に運びました・・・5角形のおもしろい形をしたコンテナでした

コンテナのない “DC-8” などの中小型機は、荷物の量と形を見ながら、ひとつひとつうまく貨物室に積み込んだり、逆にTT車にバランスよく積みかえたりするテクニックが必要でした

もちろん日本では、他の外国のように荷物を投げたり、無くなるようなことはありません

客の荷物だけでなく、いろんな輸入品や動物などもありました

そしてその後、成田国際空港がオープンすると、ほとんどのメンバーはそちらに移っていきました

いろんな飛行機や空港内のことがわかり、また大げさに言うと日本の経済がわかる面白いバイトでした

鷹狩山から仙丈岳

当時の飛行機は、大型のボーイング747やDC-10やトライスターで、中小型機はボーイングの707,727,737や、ダグラス社のDC-8やDC-9などがメインだったね

ボーイング747というのは、ジャンボジェットね

そうそう、秘密でジャンボの操縦席に座らせてもらったこともあるよ

“トライスター” は、例のロッキード事件の飛行機ね・・・

“エアバス” はまだ入ってなかったのね

ちなみに、飛行機はジェットエンジンで滑走路を走行できるんだけど、バックは禁止されているんだよ

アルバイトのところまで、タクシーが迎えに来るってすごいわね

“ビートたけし” が、このアルバイトをしていたことがあると、自分でしゃべっているのを聞いた記憶があるんだけどね

今はもう羽田空港もすっかり変わってしまったんでしょうね

行っても全然わからないと思うけど、行ってみたいね

鷹狩山から甲斐駒が岳

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