アフガニスタンの旅

アフガニスタンを旅したのは、もう今から40数年前になります

山岳・砂漠地帯で、何にもない地域ですが、シルクロードの交通の要衝に当たるところです

そのため、有史以来、ペルシャやアレキサンダー大王、チンギス・ハーンのモンゴルなど、侵略と略奪の歴史を繰り広げてきました

さらに、地域の部族間で、民族や宗教の対立・抗争があります

いままで、一度も落ち着いた、平和な時期がなかったといってもいいくらいの地域です

その中でも、私が旅をしたのは、70年代の半ばで、共和国制になった頃で、比較的落ち着いていたといえるかもしれません

何しろ、そのあと、1979年のソ連軍の侵攻から、また激動の歴史が始まります

私は、イランの “メシェッド” で “アフガニスタン” のビザを取り、西から入国し “ヘラート” “カンダハール” “カブール” と、それぞれ滞在しながら東へ進み、パキスタンへと抜けました

当時、中近東には、あっちこっちに、文明に背を向けた、文明から逃れてきたような世界中からの “ヒッピー” 達の溜まる街があり、ホテルがありました

ヨーロッパとインドの中間地点の “カブール” もそういった街の中のひとつで、それらしいホテルもたくさんありました

私の滞在したホテルも、居心地がよく、絨毯が敷かれた大きな広間には、ビートルズや、ピンクフロイドの音楽が流れ、、旅行者はみんな思い思いの格好で、お茶を飲み、おしゃべりをしていました

いつまでも、滞在していられるようなホテルでした

当時、1$が300円程でしたが、ホテル代は、円に換算すると100円程でした

食事は、食堂で “アフガン定食” と言えるような、ご飯に肉とポテトとほうれん草を煮込んだような、アフガニスタンのソウルフードと言える料理があり、それが70円程で、アフガニスタンのどこででも食べることが出来ました

ステーキでも150円程で、食べることが出来ました

つまり、当時アフガニスタンでは、1日1$、300円程で生活できました

街の中の人々は、貧しい生活だったとは思いますが、当時は危険と隣り合わせたような、殺伐としたものではなかったように思うのですが・・・

 

そんなに物価が安かったの・・・

 

じゃあ、毎日豪遊できるじゃない

そうなんだけど、現地に行くと、やっぱり現地の金銭感覚になっちゃうのよね

ホテルや食べ物が高いな・・・と思っても、円に換算するとたったの、数10円程度だったりするんだよね

考えるとおかしいわよね

危険なことはなかったの・・・

よくパキスタンとの国境の “カイバル峠” を越えられたわね

誰が支配しているのか、わからないからね・・・みんな機関銃を首から下げていたし・・・

また今、大混乱ね・・・

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