“リビア” の旅 “ベンガジ” で行き止まり・・・

チュニジア “スファックス” で

前回のブログ “クリスマスソング” で “リビア” のアラブ人の家に居候していたことを、ちょっと書きました

そこで、もう少しそのリビアでの様子を、書いておきたいと思います

それは、1974年の12月でした

“チュニス” で、リビアのビザを取り・・・と簡単に書きますが、とんでもない苦労がありました・・・また書かなくてはいけません

何しろエジプトの “ピラミッド” を見にいくには、リビアを通らなくてはいけません

チュニスから、リビアの “トリポリ” までのバスの中で、自転車で旅行をしている、デカいアメリカ人の “ボブ” と仲良くなりました

トリポリに着いたのは、もう暗くなってからでした

2人でホテルを探し始めたのですが、いきさつは忘れましたが、あるリビア人が泊めてくれるという話になり、2人で泊めてもらうことになりました

・・・ちょっと待って、リビアにはそれから3週間も滞在することになったのですが、こんな調子で書いていたら、とんでもなく長くなりそうなので、簡単に書きましょう

“トリポリ” で、リビア人にお世話になったあと、2人でバスで “ベンガジ” に向かいました

そして、ベンガジで “エジプト” に入る方法を、2人でいろいろ探ったのですが、難しいのです

ここに来る間に、うすうす耳に入っていたのですが、リビア・エジプト間は、国境が封鎖されており、陸路では無理らしいのです

しばらく前からは、船便も停止されているようなのです

“カダフィ” は、PLO (パレスチナ解放機構) の支持者だったり、様々な要件が重なり、エジプトとは険悪な関係で、国境が閉鎖されていました

それに、イスラムの “メッカへの巡礼” や “犠牲祭” も重なり、飛行機の便も全然空きがありません

ベンガジまで来て、行き止まり状態になりました

そうこうしている間に、ボブはカイロ行きのキャンセルチケットを1枚見つけてきて、再会を約束して、何日か後にカイロに飛んでいきました

私は、エジプトでなくても、どこか安い船便がないかと、港や旅行代理店を回りましたがありません

もうカイロでなくても、どこでもいいから “リビアから早く出してくれ・・・” という気になりましたが、一向に埒があきません

そして、トリポリに戻れば船便がある・・・という話や、ダメならさらにチュニスまでもどって、シチリアに渡ってもいいかな・・・という気にもなり、トリポリに戻り、またリビア人の家に居候することになりました・・・

そして、そこで借りてきたラジオから聞こえてきた “クリスマスソング” を涙を流しながら聞いた・・・というわけです

クリスマスソングを聞いて、ホームシックになったのね

大音量の、あの独特のアラブ音楽ばかりで、うんざりしていたからね・・・涙を流しながら・・・というのは比喩だからね

ほんとに・・・やっぱり泣いたわね・・・

この時仲良くなった “ボブ” というのは、後に映画俳優になった “ロバート・デ・ニーロ” なんだよ

ハイハイ・・・

ボブは、地元の新聞の取材を受けて、記事になっていたし、ぼくはボブの自転車を借りて、1日中トリポリの街や周辺をサイクリングをしたこともあるよ

でも、当時は、今の状態を考えると、奇跡のような時代だったのね・・・

泊めてもらったり、食事もごちそうになったりね

テルアビブ空港乱射事件の、岡本公三は、ここではヒーローだったね・・・

チュニジア “スファックス” で

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