朝日新聞社 投稿欄 “声” より  新聞はどうなる・・・

10日程前でしょうか・・・朝日新聞の “声” という読者投稿欄にこういう投稿が出ていました

『新聞は、高校2年から毎日欠かさずよんでいる。幅広い情報収集の手段としてはもちろん、社会の出来事を自分なりに考える機会を与えてくれるからだ。憲法や裁判、選択的夫婦別姓など関心の高い記事の切り抜きをノートに張り付け、自分が思うことをノートに書きつけている。新聞は単なる情報源ではなく、学びを深めることが可能になる媒体だ。これからも自分の意見を掘り下げていくために活用していきたい』 (原文のまま 抜粋)

19才の大学生の投稿でした

新聞社に、忖度している記事でないとすれば、非常に幼く、無防備に見えたので、老婆心ながら、一言いいたくなり、書かせてもらうことにしました

『あなたが、社会の出来事に興味を持ち、情報を収集し、ノートに記録し、自分の意見を掘り下げていきたい・・・というのは、これから社会に出て、社会とかかわっていくために、とても立派な態度だと思います

あなたは、新聞の記事を・・・と言うことですが、この事実は知っておいてほしいと思います

新聞は、中立・公正ではない、ということです

新聞に書かれている記事や内容は、その新聞社の意見であり、多くの意見の中のひとつに過ぎないということです

日本の新聞社は “新聞社の株式は、譲渡されない” という “新聞紙法” で守られているため、買収などなく、経営が替わることはありません

そのため経営者は安泰で、リベラルや保守から、真ん中に近いものまで、経営者の意見・意向が、色濃く反映されます

新聞社に所属する記者は、自身の新聞社の論調にあうような記事を書くことが当然要求され、記事にします

新聞社は、批判や賛成する人の意見、データや数字の取り上げ方など、自社の都合のいいように印象操作し、意図的に情報を操作して誘導しようとします

自社の立場に、都合のいい情報は大きく取り上げ、都合の悪いものは小さくしか扱わない、または無視をします

さらについ最近ですが、ある記事が最高裁判所で、捏造だと判断されました

自社の考えや立場は “社説” でしっかり意見を表明すればいい話ですが、今はそうではないようです

以前は社説だけだったものが、今は新聞記事全体に、その傾向があるようです

新聞を読むとき、それぞれの新聞社の特徴や傾向を理解し、その新聞社の意見に惑わされることなく、主体的に自分で判断することが必要です』

この記事を、この原文のまま、朝日新聞の “声” 欄に投稿することにしました

2万%、掲載されることはありませんが・・・

新聞社は、それぞれ個性があっていい、という意見も、根強くあるよね

いまや、堂々と開き直っている感があるわよね

読者は、政治的に公平に、中立な立場で、事実のみを過不足なく、いろんな角度から報道してほしいわよね

難しいのかなあ・・・

当然、その系列の “放送局” も同じだよね

昨年、朝日新聞社は創業以来の大赤字になって、社長が代わったわよ

だいたい、新聞業界全体があと十数年で無くなる、という人もいるわよ

ネット社会だもんね・・・

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