市立大町山岳博物館 “創立70周年記念” 式典

先日 “8848” というナンバーの車を見かけて “あれ~” っと思いました

その前日にも “8848” というナンバーの車を見たからです・・・もちろん違う車です

もっと以前にも、見たような記憶があります

“8848” って何の数字なんだっけ・・・と思っていました

11月の最後の日曜日 “大町市文化会館” の大ホールで “市立大町山岳博物館 創立70周年記念” 式典がありました

以前から広報などで、参加者を募っていたので、申し込みをしておきました

その前日、ネットで注文していた “スタッドレスタイヤ” が届いていたので、午前中、2台の車のタイヤを履き替え、その午後ばたばたと出かけました・・・すぐ近くですが・・・

参加者は、何人ぐらいいたでしょうか・・・200人くらいでしょうか

型通りの “式典” が終わり、そのあと目玉の “エベレスト登頂から50年に思う” という “平林克敏” さんの記念講演がありました

平林さんは、大町市の出身で、観光大使になっています

1970年の “日本山岳会エベレスト登山隊” の一員に選ばれ、日本人で初めてのエベレスト登頂者のひとりです

1次隊の、植村・松浦さんが、日本人として初めてエベレスト登頂を果たしましたが、その翌日シェルパと共に、エベレスト登頂を果たしました

講演は、同じその “日本山岳会エベレスト登山隊” のメンバーだった “神崎さん” との対談形式でした

87才の平林さんと、それより5つ下だという神崎さんとのお話でしたが、お二人の、話の内容と話し方の、全く年を感じさせない、その元気さに驚きました

平林さんはその後も、登山界で活躍し、また仕事ではダンロップの会長にまで上りつめています

神崎さんも、山岳会を引っ張り、遠征隊を率いて4回もエベレストに挑戦し、日本山岳協会の会長として長く活躍しました

また神崎さんは “北極点” 踏破では、図らずも同じエベレスト登山隊員で、日本人初登頂を果たした “植村直己” さんとの “北極点” 到達争い・・・のような形になってしまったそうですが、2日早く “北極点” に到達したそうです

講演内容は、エベレストだけでなく、登山と社会との関わりなどの話が多かったのですが、時間があれば、エベレスト登頂の裏話を、もっと聞きたかったという印象でした

お二人とも、エベレストの裏話なんていうのは、講演会などで、もうしゃべりつくしているんでしょうね

“日本山岳会エベレスト登山隊” の中には、女性隊員もいたらしいわね

女性でエベレスト初登頂の、田部井淳子さんの5年前なのね

平林さんの講演は、神崎さんの進行で対談、という形だったんだけど、あとでどこを見ても調べても、神崎さんの名前が載ってないし、出てこないんだよ・・・

それは、ひどいわね・・・

せっかく、東京から駆け付けたのにね

自分で撮っていた講演の写真を見て、やっと思い出したよ・・・

神崎さんは、4回もエべレストに挑戦したのに、登頂できなかったのね

自分で “悲劇の登山家” だと笑っていたけどね

“創立70周年” ということだけど、参加者はほとんど、そのとき生まれていたような人たちばっかりだったんでしょ・・・

そうだったね・・・

“8848” は、エべレストの高さなのね・・・

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