“刀伊の入寇” (といのにゅうこう)・・・

以前ブログで、元寇(文永・弘安の役)について結構詳しく書きました

モンゴル帝国は、領土拡大を目指し、残虐と非道の限りを尽くし、いくつもの民族と文化を絶滅させ、ユーラシア大陸をほぼ手中にし、目と鼻の先の日本に侵攻してきました

この国難時、幕府から執権に任命されたのは、わずか16才の “北条時宗” でした

2度にわたる壮絶な戦いの末 “元” を退けたのですが、もし日本が侵略されていれば、幕府と朝廷は皆殺しで、滅ぼされた他の多くの国々と同じように、日本という国はなくなっていました

現在、日本という国があるのは “北条時宗” のおかげです・・・未曾有の危機を救った、救国のヒーローです

この “元寇” に匹敵する事件が、平安時代にも起きました・・・それが “刀伊の入寇” です

平安時代、平和ボケの日本は、次々に大陸から襲撃されました

壱岐・対馬など北部九州を中心に、何度も島民が虐殺され、また連れ去られるという事件が起きていました

そして、その最大の事件が “刀伊の入寇” です

満州の女真族は、九州に襲い掛かり、対馬では36人殺害し346人を拉致、壱岐では149人殺害、女性だけ239人を拉致し、生存者は35人のみでした

半月にわたる侵攻で、300人以上が殺され、1,200人以上が拉致され、暴虐の限りを尽くされ、完全に壊滅状態になりました

ここに現れたのが・・・当時権力の絶頂にいた藤原道長の兄の子、甥の “藤原隆家” でした

当時、九州の大宰府にいた “藤原隆家” は、乱暴者 “さがな者” と言われていましたが、この事件に遭遇し、九州の有力な武士を集めて “刀伊” 撃退の総指揮官として大活躍しました

“藤原隆家” も救国の大ヒーローです

その後、新羅とも交渉し、拉致された人々もある程度、取り返したのですが、平和ボケで侵略に対する認識が薄かった朝廷は、ほとんど恩賞を与えませんでした

この平和ボケは、まるで危機意識のない現在の日本にそっくりです

北朝鮮はミサイルを打ち上げ、中国は日本のEEZ内にミサイルを撃ち込み巨大な “ブイ” を設置しています

現在の日本は “北条時宗” や “藤原隆家” のように、国土を守る・国民を守る・・・という気があるのでしょうか

そして問題なのが、この平安時代最大の対外危機 “刀伊の入寇” は、私も習った記憶がないのですが、教科書に出ていないのです・・・

どうしてこんな大事件が教科書に載ってないの・・・

襲われたときの細かい記録も残っているのにね

載ってても、1行か2行ね・・・

“元寇” にしても、日本の教科書は、日本が “元” の降伏を促す使者を無視したために元寇が起きた・・・と書いているのね

朝日新聞も、侵略者に対して、元寇が起きたのは日本の外交の不足だった・・・と書いているからね

つまり、日本のメディアは、日本が悪かったと言いたいのね

ウクライナにしても “戦うな、降伏すれば命は助かる・・・” なんて言っているメディアやコメンテーターが大勢いたからね

“武力を持たなければ攻撃されることはない・・・” “話せばわかる・・・” なんていう連中が大勢いるのよね

中国が日本のEEZ内に設置した巨大ブイを、どうして日本はそのままにしているのよ・・・

パンダを借りに行ってる場合じゃないでしょ・・・

“めまい” がして来るわね・・・

“めまい” は3回連続だけど大丈夫・・・

“も~ダメ・・・”

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